すわ、開戦じゃ。大連造船所で大修繕した中国空母「遼寧」と最新鋭、海上自衛隊ヘリ空母、ひゅうが型、2番艦「いせ」の パロディー

下記の写真は相模湾沖2012年10月14日(日)3年に一度行われる海上自衛隊観艦式自衛隊の最高指揮官(内閣総理大臣)が艦隊を観閲する観艦式。先頭の第2護衛隊(佐世保基地) 旗艦 「くらま」(DDH-艦番号144)に乗船しているのは野田佳彦総理大臣、赤い帯の中央ネクタイの人、後ろは新鋭日本のヘリ空母、第1護衛隊(横須賀基地) 旗艦「ひゅうが」(DDH-艦番号181)
13649 下の写真は中国空母遼寧」。くずで未完成の空母「ワリャーグ」を崩壊ソ連ゴルバチョフ民主化政治改革により1991年12月25日ソ連崩壊、日本はバブル崩壊ベルリンの壁崩壊は1989年11月9日、そのころ中国は経済開放政策驀進中)から貰って14年かけて修理した物。中国海軍監修のwindowsペイント合成写真、いわゆる中国が得意とするニセモノじゃ、ぼやけ画像になる特徴がある。こんな短い滑走で飛べるはずがない。波の形を見ろこの波では10ノットも出てないぞ、しかも不自然な波じゃ、1級船舶を所有するわしが見ればすぐわかる。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=oVMeKZso1jQ
中国中央(北京)電視台CCTV発表、成功起降、中国空母遼寧離着艦成功動画

http://www.youtube.com/watch?v=kUYTjGH7gmQ
中国空母遼寧就役式典、胡錦濤主席、国旗掲揚動画2012.09.25日

http://www.youtube.com/watch?v=k1T4IJwd67c
ロシアTV、中国空母遼寧就役式典、ぼろカス評論放送動画

http://www.youtube.com/watch?v=QymF9i2yj04
米国無人爆撃機初着艦成功動画2013.07.10日

YouTubuと東森新聞CTTV参照http://www.youtube.com/watch?v=ObvwUh2lbKQ

この中国空母「遼寧」は10年の練習と失敗の末やっと2012.11.23日一機のみ着艦に成功した、着艦失敗機は海の底。

こんな短い甲板に着艦できる技術養成には10年必要を証明した、未熟パイロットには危険過ぎてできん。

中国空軍のパイロットは党直轄民間航空会社で何年か養成される。中国空軍から民間航空へ出張の若年中国空軍パイロットは果敢な操縦だ、広島空港で中国航空機の着陸を見ていると機体が左右に揺れて滑走も短い空母着艦を想定練習してんじゃねえぞ、荒っぽい乱暴な操縦だぜ。近頃の着陸は自動操縦の様で安全になったが10年前の小型機はひどかったぜよ。今も結構乱暴じゃ。

発艦は船尾より発走し全甲板を滑走してどうにか飛んだ。残る難題は船首発走よりの発艦となった、中国のメンツにかけてカタパルト技術をスパイせざるを得なくなった。
さらに中国人民航空局は日本の優秀戦闘機零戦に倣い機体を中国伝統の凧紙で製作して重量軽減をしてはどうかと考慮中である。現在は宮崎駿監督の感動長編アニメ「風立ちぬ」を鑑賞し涙を流し研究中であるとの情報が漏れている。


さて、2012年12月某日 張りぼて戦闘機を搭載して初航海中の前近代旧式の中国空母「遼寧」は台湾沖にて、のほほんと海上練習中の海上自衛隊ヘリ空母ひゅうが型2番艦「いせ」を発見した。

中座、雑学。
のほほん海上自衛隊は2015年度(平成27年)には大型新ヘリ空母DDH22(平成22年予算発注建造中、5年計画、建造費1139億円、12年建造着工3年で完成)が就役予定である。艦番号183。
(さすがの日本の造船技術は、寸分たがわぬ正確さで予定通り、2015年就役、艦名はいずも、第1護衛隊群に配属された、旧艦ひゅうがは第3護衛隊群に配置転換された。)

2017年度(平成29年)には大型新ヘリ空母2番艦DDH24平成24年予算発注5年計画、建造費1155億円、14年建造着工3年で完成)が就役予定である。艦番号184。
(15年、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦「いずも」型の2番艦「24DDH」の正式名称が「かが」に決定した。8月27日、横浜市のジャパンマリンユナイテッドの磯子工場で進水式命名式が行われた際に発表された。
「かが」は石川県南部の旧名「加賀」から命名された。旧日本海軍の空母「加賀」と同じ名前ということで、ネット上で話題になっている。「加賀」は1928年に竣工。改装後の全長は247m。太平洋戦争時には真珠湾攻撃ラバウル攻撃に参加したが、1942年のミッドウェー海戦アメリカ軍の航空隊の爆撃で撃沈された。)

この超大型DDH2隻は海上自衛隊、最大艦じゃ全長248mもあるけん、攻撃型空母として米国F−35垂直離着陸戦闘機を搭載したいんじゃ。

そして、沖縄を母港に魚釣島を占守するんじゃ?!と防衛省は考えてるんじゃろう。

DDH 駆逐艦のdrive destroy(DD)。ヘリコプター(H)。誘導ミサイル艦は(G)
*1番艦DDH16「ひゅうが」は2009年(平成21年)3月18日就役、(平成16年(2004年)予算計上発注)艦番号181 第1護衛隊群 横須賀基地所属
ひゅうが型2番艦DDH18「いせ」は2011年(平成23年)3月16日に就役、(平成18年(2006年)予算計上発注) 艦番号182 第4護衛隊群 呉基地所属
*IHIMU アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド横浜工場でひゅうが、いせ を建造

 第1護衛隊群 横須賀基地
 第2護衛隊群 佐世保基地
 第3護衛隊群 舞鶴基地
 第4護衛隊群 呉基地


 中国空母「遼寧」は10年前(およそ2002年)から修理しているがこのたび、めでたく動くようになったが、空母と言いながら戦闘機にミサイルを搭載できない、大きな張りぼて対日本威圧兼対抗の似非空母で戦闘機発着練習艦である。外貨を貯め込んだ中国政府が見栄を張って、金属疲労も感知せず建造したものであった。

中国は船舶用大型ガスタービンエンジンを造る技術とカタパルト技術がないんじゃ、そりゃそうじゃろ。速度がのろいんじゃ!機動艦隊になれん。

さらに戦闘機を発艦着艦させる技術能力もない。
戦闘機にミサイルを積むと重たくて発艦出来んのんじゃ!笑うの!

カタパルト技術は米国が長い歳月と膨大な金と、そして多くの犠牲者を出してやっと開発した。中国じゃ100年経っても出来んわ。

汚職が蔓延して、金もない、技術もない、ないないづくしじゃ、盗用コピーが専門じゃけん、技術者が育たんのんじゃ。特殊分野に興味を持つ優秀な研究者がおらんということよ。中国人全般は現実的ということよ。

IHIに賄賂を贈ってお願いするか、女スパイを使って技術を盗むしか方法がない、ターゲットは日本の防衛省東大法学部卒純真官僚じゃ!色仕掛けじゃわい!ころりとだまされるばい!

さて、本題じゃ、全力でも最大10ノットも出ない超重量肥満艦中国空母「遼寧」(最近は引きこもり空母と呼ばれる)海上自衛隊ヘリ空母「いせ」を追うが一向に追いつけない。

戦闘機を発艦、着艦する能力のない前近代旧式の中国空母「遼寧」は飛行甲板に張りぼて戦闘機を並べ威圧作戦を展開した。

それを攻撃体勢と見て驚いた海上自衛隊ヘリ空母「いせ」の防衛大学出身の新米艦長は先日米国から一日1億円でレンタルしたオスプレイをもって専守防衛せよと緊急発進させた・・

米国軍の最新兵器オスプレイの悪魔のような異様さを見てぶっこいた中国空母「遼寧」の革命時代の老艦長は、すでに中国人民解放軍の大半を占めている一人っ子政策でわがままに育った小皇帝隊員たちに、大きな毛沢東の写真を並べさせ、敬意をこめ米国の星条旗を振らせたが、わがままな小皇帝隊員の中にはワンピースの髑髏旗を振る者や彼女の写真を振る者もいた、中国軍の指揮は明らかに乱れている。

退役をまじかに控える革命時代の老艦長はしかたなく、陰暦の春節(正月)用にただ一人しかいない内孫に買っておいた花火を打ち上げてオスプレイを歓迎した。2013年の春節は2月10日

その爆発音を攻撃を受けたと慌てた海上自衛隊ヘリ空母「いせ」の防衛大学出身の新米艦長は浮き足立ってすぐさま専守防衛反撃に出た、こうして魚釣島海戦が幕を切った・・

そのころ立ち枯れ党を改名して輝く太陽の季節の党の党首になった80歳で血気盛んなに同じせりふを正確に繰り返す事を得意とする中国をシナと言う過激老人石原は、橋の維新の下の党と結託してまんまと日本の首相となっていた。

そもそもが石原が原因の発端である魚釣島開戦じゃが、これを防衛省長官に返り咲いた鳥取県田舎村出身の豪農で軍事オタクの石破君より聞いて腰を抜かした石原は認知障害を生じ、官房長官になって芸能界復帰を果たした橋の維新の伸助に命じ連合艦隊を出撃させよと言ったのだ。

この魚釣島海戦は、両国の社会的問題を背景にした;中国の一人っ子政策で生ずる両親扶養の問題と、共産主義社会の格差矛盾と今後の社会福祉の充実問題。この問題に先駆ける日本で増加する暴走老人介護と年金問題、増え続ける自立しない未婚男女と自立出来ない日本国に深刻な新影を一石投じたのである。

旧体育の日、今が盛りの大連、中国魚釣島だ、日本尖閣諸島だ、厚顔也、中国人の特徴を考察、大連高層ビル

やっと200m位か計画目標の383mまでにあと183m必要じゃ、こんな細いビル、おお怖わ、この細い筋交いはなんじゃ、常識的に無理じゃろ もう止めとけ

上海の森ビルが地上101階、高さ492mじゃがこれは別格じゃ日本人が考えた最高技術じゃぞ、なんやと、森ビルの技術と同じじゃとフン

このビルもしかり、大型投資物件、特に公共投資は進捗が遅くなった、金の流れが悪くなってるようだ、奔放な中国も然り、驕る平家と同じようになって行くのか!
ドウじゃと言わんばかり、空威張りする、先のことなど一切考えない子供のように純粋で超楽観的な中国ジャ、

今日の大連はいい天気だ。今が盛りの大連、

雨が降った翌日は、いい天気になる。これを女心と秋の空と言う。

秋の天気は変わりやすい。大連は昨日雨だった。



さらには、今が盛り、絶頂期であることを、実りの五穀豊穣のとか、秋たけなわ とも言う。

然るに、この秋を過ぎると人生の秋を迎える とかと言う、終わりを向える・・!

さらには男女関係の終わりを向える事を、飽()きると言う、駄じゃれじゃ



大連の秋の終わりはとてもはっきりしている、

木枯らしが吹き、大樹は枯れ木のごとく全ての葉を落として極寒の冬を迎える。

中国もそろそろ天下の秋を向えそうじゃの。



今日は大連新華本店で魚釣島だけの地図を売っていた、これを買いもとめた。
2012年9月作成初版第一刷、中国人民解放軍第1206河北工場印刷と書いてある。

この地図を見ると50に及ぶ島の周りの小さな岩礁にも名前を付けているあほじゃ!しかもその岩に経度、緯度も細かく書いてある、大あほじゃわ!
情けない中国解放人民軍はこんなにアホになったか、


この地図は50000部印刷中の第一番目の地図じゃ、

こんなあほくさい地図中国人は買わんから わしが買ってやったんじゃ、
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中国大連交通大学の喧しい運動会、茶髪、中秋の名月、かぐや姫、月餅団子、国慶節、空母へと続く。

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大連のおなごはここ数年で随分茶髪の子が多くなった、以前はすっぴんで墨を濃くしたようなまっくろくろな黒髪だった、新鮮な感覚だった。

以前は全く見なかったマスカラをした子もいる。まだほんの一部だけんどよ。

ここの国際文化交流中国語貧乏学校の老師までも、高級日本社製全輪駆動ホンダ車で車通勤だぜ、どうなってるんだ。

どうも理解不能だぜ。だからどうなんじゃ。


さて、10月1日は中国の国慶じゃ。
いわゆる中華人民共和国設立記念日よ。

中国の英雄、毛沢東が1949年天安門広場で設立宣言をしたんじゃぞ。だからどうしたんじゃ、
そんで大連は今日から一週間じゃない最長9日間、学校、公務員、大企業は休みじゃ、


それに明日30日は、中国の休日、月見の日じゃ。又は、かぐや姫が昇天した日じゃぞ、それはしらんぞ。

中国にもかぐや姫に似た伝説があるんじゃ。中国のかぐや姫は、嫦娥(チアンウァ)というんじゃ

もともと月見は、唐時代に最も盛んに行われていらしい、それを唐時代に中国に留学した日本人がかぐや姫にアレンジして日本に伝えたらしいんじゃよ?遣唐使じゃろ。

中国では満月を眺めて、丸い月饅頭を食べるんじゃ、
丸い饅頭じゃ、四角やもみじ饅頭はだめじゃ、家族に喧嘩が絶えんぞ。

丸い月饅頭には、家族団欒を示す、しかるに家族の幸せを願う意味がある。
これを中国では中秋節という。

日本では中秋の日と言う、おお同じじゃの
旧暦の8月15日のことじゃ、要するに日本の十五夜お月さんのことじゃ。

この日の満月が一年で一番綺麗なんじゃ、それで中秋の名月と言うよ。


今日から中国学生は田舎に帰省する、商売人は今日からが稼ぎ時で、スーパーはバーゲンセールじゃ。
中国の3大商売繁盛期じゃ、それは歳末、黄金周、と中秋節じゃ

そんで今日の大連は、交通渋滞がはなはだしい。
30分待たされてやっとバスが来た、いいかげんにせえ。このやろう。


さて、さて大連の大学の運動会は毎年この時期に開催されます。

参加は1,2年生だけです。

隣の遼寧師範大学も運動会、ここと同じ巨大大音量のスピーカーを使ってやってますので、私の寮は両方に挟まれてうるさくて仕方ない、

時たま感動のメロディーも聞こえてはくる。

日本だと偏屈老人か、赤ちゃんが寝ているとヒステリックな若奥さんから苦情が出てひと悶着ですが、
ここ大連では大様な性格なのか言っても埒が明かないのか全く苦情を聞かない。


それはそうと、中国の空母の名前が決定しました。遼寧です。大連にすればよかったのにね。

遼寧省党トップは次期首相の李克強なのでこうなったのでしょうね。
元はといえば、元大連市長、薄熙来が買った空母ですぜ。

李克強薄熙来は対立する派閥の関係だぜ、薄熙来敗れたり、薄熙来が勝っていれば毛沢東と名付けていたろうぜ、前近代老空母ぴったりの名だぜ、

この国のやり方は単純で考えが浅いのでわかり易い、明快な論理だ。はっきりしている。

なんと国連の演説で日本を泥棒と名指ししたのに、その日本は中国の名前を伏せてちょっと抗議しただけ、

草食系と肉食系、乱暴なぼんくら虎と忠犬ハチ公の両極端だぜ。

大連震撼、小日本、日本鬼子、やらせデモ、無法治国家、賄賂蔓延、権力闘争、薄熙来の怨念、極左太子党反撃、


大体が釣魚島がどこにあるのかも知らない、島に日本人が住んでると思っているデモだ。

デモこそ泥窃盗団だ、デモを黙認する地方政府の低度も知れている。

法治国家だ、情けない地方政府だ、田舎警察だ、日本製品を掠め取る不理性な略奪ならず者の国。民主化への模倣デモになればいい。

そもそもがデモは中国政府が許可しない。

デモの扇動者は地方政府に雇われたならず者、政府がデモを監督してそのデモを監視する、民意じゃない、とんだ茶番劇じゃ、無法治国だ、でたらめ国じゃ、その責任は中国政府にある。

野田はその中国の茶番劇を分かっている。強行姿勢を示せ。
此れくらい書いて少しはすっきりしたわい。

やっぱり石原都知事に買わせて日本軍国主義路線強化とか言ってびびらせるべきだったな、

人民軍司令官の脅迫じみた発言には、石原が日米共同防衛によって阻止出来ると発信すべきだな、
日本は南シナ海諸国に先駆けてもしものシナリオを考える必要がある、

相手は何でもあり乱暴で粗野な国だ危機感のない平和解決とか温厚な日本政府ではなめられるな。

いいタイミングのオスプレイ配置、さすがの米国じゃ中国が静かになるまではどうぞオスプレイ様様じゃ。


中国共産党員8260万のトップ人事と薄熙来と大連と反日デモの関係図式

革命第1世代の毛沢東主席と周恩来首相
第2世代の訒小平軍事委員会主席党最高指導者と胡耀邦趙紫陽総書記
第3世代の江沢民中央軍事委員会主席兼、中央政治局常務委員会総書記最高指導者兼、国家主席李鵬朱鎔基首相、
第4世代の胡錦濤中央軍事委員会主席兼、中央政治局常務委員会総書記最高指導者兼、国家主席温家宝首相ここまでは良好。

そして第5世代の習近平次期中央軍事委員会主席兼、中央政治局常務委員会総書記最高指導者兼、国家主席vs李克強次期首相、両派閥のホープ対立。


訒小平ー改革叩上げ秀才派閥、共産青年団−団派胡耀邦総書記(親日派、共産青年団−団派のドン、熬出頭秀才グループ)ー李鵬、朱鎔基首相(清華大学秀才技術者グループ、国営企業民間払い下げ政策)−胡錦濤主席(チベット自治区党トップ)ー李克強次期首相遼寧省党トップ、東北振興政策)


訒小平ー保守太子党派閥、江沢民(上海財閥)ー曽慶紅(革命元老の子弟、太子党のドン)ー習近平次期主席福建省長、浙江省党トップ)ー薄熙来(大連市長、重慶市党トップ)ー革命元老の二世派閥、超左派愛国


現政権主導団派の対日本政策は甘い故に、極左太子党たちが権力誇示のため各都市で部下を操ってデモを企てた。

遼寧省を取り仕切る李克強(現遼寧省党トップ、青年団派)はメンツにかけて、薄熙来(元大連市長、太子党派)シンパが多い遼寧省内の大連ではデモをさせない。


所詮、

共産中央政治局、現常務委員党トップ9人と、しゅうとめの様なかつてのトップ長老が集まる、「北戴河会議」で(河北省の避暑地・北戴河)人事や政策を決めようとするから、新政策が決まらないんだろう。

よって、現常務委員党トップ9人は各人ばらばらになって各省内で権力行動するしかない烏合の衆なのかも、


この中国新政権の脆弱な権力地盤は迷惑この上ない。

共産党トップだけで全てを決めてしまうとなると、
何時までも、いいことは長くは続かんばい、

権力と人事権を全て握れば、人間誰しも傲慢になるがな。



女性のパンツを盗撮した日本IBMの社長を見ろ、全権力を握ると自分が一番偉いと思ってしまう、善と悪の区別がつかんようになるばい。

外見は申し分ないが、頭の中は幼稚な変態、実は非常識なとんでもないやっちゃ、

パンツ盗撮したやつが3万人の賢い社員を前に、偉そうに訓示しているとは、だれ一人として分からんかったばい。

可愛そうな社員たちじゃ

とんでもない日本IBMの社長じゃ、変態でなければ思いつかんソリューション、システムネットワークじゃ、これをシステムインテグレーション・パンツ盗撮と言うんじゃろう、頭がおかしくなるわい・・・???、なんだか変態社長の頭の中が判ってきた。

変態だから日本IBMは拡大したんじゃろ。

これが国家になると国民は自分の生死を国に任せることになるばい。

老いぼれ長老と傲慢な変態トップが何でも決めてしまえば、国民はたまらんわ、
やっぱ馬鹿でも国民の意見も聞きながら、旨いこと国民を手なずけて決めんといかんとばい。



閑話論、

現政権下の中国学歴偏重主義社会で行政組織の役職に着くには、研究生以上の学歴とコネがないと難しい、

知識の蓄積は不必要、卒業証明収得に向けてまっしぐら、日本の大学は勿論、米国やカナダなら更に良い、どこであれ研究生以上の学歴がいるんじゃ、

コネにより一旦行政組織の職員になると仕事らしき仕事をせずとも楽な生活が出来る。
尚、共産党員は国民より搾取した有余る税金を自分たちの贅沢な生活に使います。

さらに共産党員幹部の仕事は自己防衛闘争と袖の下、ろくな仕事をせずとも高収入がある。

彼らが貯めに貯めた賄賂12兆円超は海外の銀行に隠し持っているんじゃ。
今も毎年数兆円の賄賂が外国の銀行に不正蓄財されている。国民総生産の数割が外国に流れている。
(1000万円を超える中国人名の海外口座は賄賂じゃ、国内貯蓄じゃ賄賂がばれると没収されるからじゃ)


所謂腐敗社会これが現中国の悩みじゃ、だからどうしたんじゃ。

いわゆる中国の階級闘争(改革闘争)は金と権力は共産党が支配して、富の独占と搾取を正当化しました。
その結果毛沢東が夢みる、共産無階級社会は実現しなかった。

適材職業、能力収入、才能学歴、資質家柄、保存財産、家族環境生活様式等によらず、
党関係者は、富、腐敗し、人民は貧した。

党の品格はなく階級闘争は党内の金権独占闘争に変わった、
だからどうしろと言うんじゃ、そりゃわしにはわからんばい。


さて、さて、大連にはこんな話題しかない。

2008年リーマンショック前に建設が始まったこのビル、建設開始からもう4年か5年を超えてます。


これは例の300m超計画の恐怖ビル、やっと150mくらいになりました。高くすれば凄いわけではない。

鉄骨が余り、市内中心にはもう開発土地も無く、金も余って高くせざるを得ない。
大連はこれから極寒の冬になりますなので、鉄骨が縮み一時中断を余儀なくされます。

その鉄骨には錆が目立ちます。
さらに高所ではきっと強風が吹き荒れてます。

何が落ちてくるか、何時倒れるかとても危険。
まさに身も凍る、人々を震撼させる中国、ビルだべ。


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AKB、板野友美、あは!大連のこんな処に。中国大連で整形美容か。 国民の生活が第一、政党資金蓄財家、守銭奴、厚顔政治家、小沢一郎

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どこかで見た顔・・・がはは、やっと分かった。

板野友美、AKBの中では際立った美人顔、よく見ると不自然な人工美のような顔。整形美容ポスターに使うとは、さすがは中国だべ!


『わが身が一番、放射能が怖くて逃げた岩手県のボス』小沢一郎、妻より三行り半
「(中略)長年お世話になった方々のご不幸を知り、何もできない自分を情けなく思っております。

このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げ出しました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しいときに見捨てて逃げ出した小沢を見て、岩手や日本のためになる人間ではないとわかり離婚いたしました。(中略)

八年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才をすぎました。三年つきあった女性との間の子で、その人が結婚するから引きとれといわれたそうです。それで結婚前からつき合っていた●●●●という女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさせたということです。

小沢が言うには、この●●●●という人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰でもいいから金のある女と結婚することにしたところが、たまたま田中角栄先生が紹介したから私と結婚したというのです。そして『どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう』と言い、謝るどころか『お前に選挙を手伝ってもらった覚えはない。何もしていないのにうぬぼれるな』と言われました。あげく『あいつ(●●●●)とは別れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる』とまで言われました。

この言葉で、三十年間皆様に支えられ頑張ってきたという自負心が粉々になり、一時は自殺まで考えました。息子たちに支えられ何とか現在までやってきましたが、いまでも、悔しさと空しさに心が乱れることがあります。(中略)

(2011 3 16)三月十六日の朝、北上出身の第一秘書の川辺が私の所へ来て、『内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書達を逃がしました。私の家族も既に大阪に逃がしました』と胸をはって言うのです。あげく、『先生も逃げますので、奥さんも息子さん達もどこか逃げる所を考えてください』と言うのです。
福島ですら原発周辺のみの避難勧告しかでていないのに、政治家が東京から真っ先に逃げるというのです。私は仰天して『国会議員が真っ先に逃げてどうするの! なんですぐ岩手に帰らないのか! 内々の情報があるのならなぜ国民に知らせないのか』と聞きました。

川辺が言うには、岩手に行かないのは知事から来るなと言われたからで、国民に知らせないのは大混乱を起こすからだというのです。
国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。(中略)川辺はあわてて男達は逃げませんと言いつくろい、小沢に報告に行きました。

小沢は『じゃあしょうがない。食糧の備蓄はあるから、塩を買い占めるように』と言って買いに行かせました。その後は家に鍵をかけて閉じこもり全く外へ出なくなりました。復興法案の審議にも出ていません。
(中略)岩手に行こうと誘われても党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。知事に止められたのではなく放射能がこわくて行かなかったのです。

(中略)本当に情けなく強い怒りを感じておりました。実は小沢は、数年前から京都から出馬したいと言い出しており後援会会長にまで相談していました。もう岩手のことは頭になかったのでしょう。(中略)

かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく、自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています。(中略)せめて離婚の慰謝料を受けとったら岩手に義捐金として送るつもりです。(中略)                      小澤和子」


ジャーナリスト松田賢弥+本誌取材班
政治資金を蓄財、自身の財テクに忙しい、はたまた政党資金を自身の政治団体に蓄財、不動産を買い漁る小沢一郎「妻からの「離縁状」全文公開 週刊文春6月21日号 

田中角栄の後援会「越山会」の大幹部だった新潟の建設会社「福田組」の社長・福田正(故人)の長女・和子を角栄が秘蔵っ子に娶らせた、いわば政略結婚である。しかも二人の間には三十代の三人の息子がいて、積み重ねた四十年近くの歳月がある。七十歳の小沢と六十七歳の和子が今さら離婚するなど、にわかには信じ難い話だった。

ある三十年来の支援者の家を訪ねたときのことだ。
 玄関口で訝しげな顔をする支援者に、私が三月に小沢夫妻の別居を報じたこと、四月末には本誌(五月三日・十日号)で「小沢一郎に隠し子がいた!」と題し、今や二十一歳になる小沢の隠し子について報じたことなどを告げると、こう語りだした。
 「あぁ、あの記事は読んだ。間違ったごどは書いてないよな」
 そう言い、私を居間に招き入れた。率直に「和子さんからの手紙は来てないですか」と尋ねる私に、その人はこちらの目を見据えながら、間を置いてポツリポツリと語るのだった。
和子に泣きながら電話した
 「来たよ。去年の十一月だ。長い手紙でなぁ。小沢が被災地に行かないごとに和子さんが怒ったとか、小沢が放射能を怖れて『東京から逃げろ』『水飲むな』と言ったことが情けないと思った、ど書いであっだ」

さらに、こう続けた。
 「私は手紙の内容に仰天して、和子さんに泣きながら電話したんだ。『一郎でない。和子さんがいるがらごそ、(小沢の支援を)やってきたんだ』と伝えだんだ。和子さんは『息子たちは私についているから。息子たちが、別居したら、と言ってくれたの』と話していだ。

別の支援者を夜遅くに訪ねると、その人は門扉の前で言葉少なにこう語った。
 「和子さんからの手紙は確かに来ました。小沢が被災地へ行かないことへの不満の他に、『離婚』と書いてあった。手紙を読んで、和子さんと電話で話をしました。『水沢に来たら』声をかけたけど、『ありがとう』としか言わなかった。一郎が和子さんを、これほど苦しめていたとはな・・・。私はもう、一郎からは離れました」
 私はさらに別の支援者を何度も訪ねた。何度目の訪問だったか、早朝に訪ねると、その支援者は意を決したのか淡々と語りだした。
 「和子さんの手紙は去年の十一月の初め頃に来た。『離婚しました』とあった。原因は、あなたが隠し子の記事で書かれていた通り、小沢の女性問題だ。小沢がそこまで和子さんをないがしろにしたとあっては、もう許せない。小沢は次の選挙に出られない。もし出たとしても落選だろう」
 
その後も取材を重ね、和子の手紙は去年の十一月頃、十名近くの支援者に送られていたことがわかった。ただ、彼らは取材に応じてくれたとはいえ、手紙の提供は拒み続けた。
 
協力者を守るために詳細は伏せるが、私は手を尽くして手紙のコピーをようやく二通入手することができた。そのうちの一通が全文公開したものだ。もう一通も筆跡は同じで、冒頭と末尾に、その支援者や家族を気遣う文言などが書かれている以外は、内容もほぼ同一といっていい。念のため元秘書らに筆跡を確認してもらったが、間違いなく和子のものである。


妻よりの三下り半全文
まだ強い余震がある中、お変わりございませんか。
 
この度の大震災ではさぞご苦労があったと思います。ご家族・ご親類はご無事でいらっしゃったでしょうか。何のお手伝いもできず申し訳ありません。被害の余りの大きさに胸がつぶれる思いです。長年お世話になった方々のご不幸を知り、何もできない自分を情けなく思っています。
 
このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました。

お礼の手紙にこのようなことを申し上げるのは大変申し訳なくショックを受けられると思いますが、いずれお話しなければと思っていましたのでこの手紙を差し上げました。お聞き苦しいと思いますが今迄のことを申し上げます。
 
八年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才をすぎました。三年つきあった女性との間の子で、その人が別の人と結婚するから引きとれといわれたそうです。それで私との結婚前からつき合っていた●●●●という女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさせたということです。小沢が言うには、この●●●●という人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰でもいいから金のある女と結婚することにしたところが、たまたま田中角栄先生が紹介したから私と結婚したというのです。そして「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」と言い、謝るどころか「お前に選挙を手つだってもらった覚えはない。何もしていないのにうぬぼれるな」と言われました。あげく「あいつ(●●●●)とは別れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる」とまで言われました。
 
その言葉で、三十年間皆様に支えられ頑張ってきたという自負心が粉々になり、一時は自殺まで考えました。息子達に支えられ何とか現在やってきましたが、今でも、悔しさと空しさに心が乱れることがあります。
 
お世話になった方々に申し訳なく、又、説明もできず、もしお会いしてやさしい言葉をかけていたゞいたら、自分が抑えられず涙が止まらなくなるのがわかり岩手に帰れなくなりました。選挙の時には、皆さんがご苦労されているのに、どうしても「小沢をお願いします」とは言えず、申し訳なさに歯をくいしばって耐えていました。
 
隠し子がわかって以来、別棟を建てて別居しています。SPさんや秘書の手前、料理や洗濯は変わらずやっていました。用事の時は、小沢は私に直接言わず、秘書が出入りしていました。
 
それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本の為に役立つかもしれないのに、私が水をさすようなことをしていいのかという思いがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。

「なんですぐ岩手に帰らないのか!」
 
ところが三月十一日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました。
 
三月十一日、あの大震災の中で、お世話になった方々の無事もわからず、岩手にいたら何かできることがあったのではと何一つできない自分が情けなく仕方がありませんでした。
 
そんな中、三月十六日の朝、北上出身の第一秘書の川辺が私の所へ来て、「内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書たちを逃がしました。私の家族も既に大阪に逃がしました」と胸をはって言うのです。
 
あげく、「先生も逃げますので、奥さんも息子さん達もどこか逃げる所を考えてください」と言うのです。
 
福島ですら原発周辺のみの避難勧告しかでていないのに、政治家が東京から真っ先に逃げるというのです。私は仰天して「国会議員が真っ先に逃げてどうするの!なんですぐ岩手に帰らないのか!内々の情報があるならなぜ国民に知らせないか」と聞きました。
 
川辺が言うには、岩手に行かないのは知事から来るなと言われてからで、国民に知らせないのは大混乱を起こすからだというのです。
 
国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです。
 私は激怒して「私は逃げません。政治家が真っ先に逃げ出すとは何事ですか」と怒鳴りました。川辺はあわてて男達は逃げませんと言いつくろい、小沢に報告に行きました。
 
小沢は「じゃあしょうがない。食糧の備蓄はあるから、塩を買い占めるように」と言って書生に買いに行かせました。その後は家に鍵をかけて閉じこもり全く外に出なくなりました。復興法案の審議にも出ていません。
女性秘書達と川辺の家族は一ヶ月余り戻ってきませんでした。二日遅れで届いた岩手日日には三月十五日国会議員六人が県庁に行き、知事と会談したとありました。
 
彼らに一緒に岩手に行こうと誘われても党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。知事に止められたのではなく放射能がこわくて行かなかったのです。
 
三月二十一日「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやって下さい」と書生が言いに来ました。しかしそのような情報は一切発表されていませんでしたので、私が「他の人と同じ様に水道水を使います」と言いましたら、それなら先生のご飯は僕達で作りますと断ってきました。
 
それ以来、書生達が料理をし、洗濯まで買った水でやろうとしていました。東京都が乳幼児にはなるべく水道水を避けるようにと指示したのはその二日後です。すぐにそれは解除になりました。
 
三月二十五日になってついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げだしました。去年、京都の土地を探していたようですのでそこに逃げたのかもしれません。
 
その直後、テレビやマスコミが小沢はどこに行った?こんな時に何をしているかと騒ぎだし、自宅前にテレビカメラが三、四台置かれ、二十人位のマスコミが押しかけました。それで、あわてて避難先から三月二十八日に岩手県庁に行ったのです。
ご存知のように被災地には行ってません。四月に入ってからも家に閉じこもり連日、夜岩手議員を集めて酒を飲みながら菅内閣打倒計画をたて始めました。菅さんが放射能の情報を隠していると思ったらしく相談を始めました。自衛隊幹部や文科省の役人に情報収集をしたようですが、発表以外の事実は得られず、それなら菅内閣を倒し、誰でもいいから首相にすえて情報を入手しようと考えたようです。この結果、不信任決議がだされ政治が停滞したことはご存知と思います。
 
この大震災の中にあって何ら復興の手助けもせず、放射能の情報だけが欲しいというのです。
 本当に情けなく強い憤りを感じておりました。実は小沢は、数年前から京都から出馬したいと言い出しており後援会にまで相談していました。
 もう岩手のことは頭になかったのでしょう。
放射能をおそれて魚や野菜を捨てた
 こんな人間を後援会の皆さんにお願いしていたのかと思うと申し訳なく恥づかしく思っています。
 
更に五月には長野の別荘地に土地を買い設計図を書いています。
 多くの方々が大切なご家族を失い何もかも流され仮設住宅すら充分でなく不自由な避難生活を送られている時に、何ら痛痒を感じず、自分の為の避難場所の設計をしています。●●●という建設会社の話ではオフィス0という会社名義で土地を買い、秘書の仲里が担当しているということでした。
 
天皇・皇后両陛下が岩手に入られた日には、千葉に風評被害の視察と称し釣りに出かけました。
 
千葉の漁協で風評がひどいと陳情を受けると「放射能はどんどんひどくなる」と発言し、釣りを中止し、漁協からもらった魚も捨てさせたそうです。風評で苦しむ産地から届いた野菜も放射能をおそれて鳥の餌にする他は捨てたそうです。
 
かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく、自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています。
 
長い間お世話になった皆さんにご恩返しができないかと考えています。せめて離婚の慰謝料を受け取ったら岩手に義捐金として送るつもりです。今岩手で頑張っている方々がすばらしい岩手を作ってくれることを信じています。
 
ご一家には、本当に長い間お励ましお支えを頂きましたこと心から感謝しております。ありがとうございました。
 
七月には別のところに住所を移しました。
 ご一家のご多幸を心より祈り上げております。
     小澤和子