歴史探訪 軍都、旅順を歩く

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1903年開業の旅順駅、今も使われています。中国国内で唯一のロシアの木造建築。
1900年建築(明治33年)まさに100年前にタイムスリップです。

旅順は2009年11月に外国人立ち入り禁止を止め、全面解放しました。

旅順はこじんまりとした、とても綺麗な町です。

ロシア統治時代の影響でしょうね、古い建物はとてもカラフルです、黄色の壁に、窓枠が白とか、ブルーの壁に窓枠が白とか、中国海軍の宿泊施設は薄いピンクだったりします、おとぎの国に迷い込んだような感じです。

ここは、NHKドラマ坂の上の雲で注目度の高い日露戦争の舞台でもあります。

旅順は軍事上の理由から約60年もの間、閉鎖地区とされ開発されませんでした、そのお蔭でロシアや日本の統治時代の面影を残す町並みが100年前と変わらず残っています。


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旅順駅の近く、現在の旅順軍港。ハイテク艦船と木造漁船の対比が中国らしい。中国艦船がこんなに近くで見れるのは珍しい。

最近のニュースで海上自衛隊に接近したヘリの艦船はここの部隊所属と思う。
日本のニュースではヘリは上部の命令を無視してかってに接近したと行っていましたが、中国軍兵士が上部の命令を無視すれば、重刑罰もんですよ!そんなことありえない。
なんとも日本国民をバカにして、茶をにごして逃げようとする強く主張しない、弱腰なのか賢いのかさっぱり判らない日本政府です。


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ロシアとの戦で勝利した日本軍は、ロシアが建設中だった、未完の建物(ロシア陸軍将校館)を、1917年に完成させ、関東都督府博物館とした。

現在は旅順博物館、日本人による西洋建築物。探検隊を率いて中央アジアなどを巡った大谷光瑞の収集品が保存されている。

貴重品は1945年終戦後にロシアが接収して持ち去ったそうです。
残ったものはミイラや、青銅器、銅剣、銅鉾、銅鐸などのきたない骨董品が沢山あります。勿論見ごたえはあります。


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帝政ロシア陸軍部、1900年ロシアが建築(明治33年)

日露戦争に勝利した日本軍はここを陸軍司令部とした、その後、ここを日本軍は関東軍司令部として使用した。
この建物の中で軍参謀部は盧溝橋爆破を策略し日中戦争を引き起した。さらにその勢いは太平洋戦争へと拡大していった。

中に入ると陸軍司令部らしき部屋に海軍旗が壁に掛けてある、その意図を憶測できない、ここは反日教育の場所です!


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南満州鉄道が経営した、旅順のヤマトホテル。今は木賃宿になっている、昔はラストエンペラー愛新覚羅溥儀夏目漱石が泊まった高級ホテルです。

さらに夏目漱石は旅順の南端、老鉄山温泉に入ったそうです。この温泉は今は日本人が経営しています、露天風呂がある気持ちのいい温泉です。


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1901年に、アメリカ人(ドイツ人とも?定かではありません)が投資して建てられた、昔のデパート。
(注意、このブログは歴史の教科書ではありません、間違いについては責任を持ちません。)
日本統治時代は、旅順高等学堂師範学校


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東洋のマタハリと言われた清朝末の王女、川島芳子ラストエンペラー愛新覚羅溥儀、その正妻、婉容がいっときの間一緒に住んだ家。
売国奴として処刑された川島芳子が住んでいた家なので、この通り荒れ果て住み着く者もいないし、中国共産党としても綺麗にすることもはばかれたのでしょう。

もとはロシア人の建てた旅館です。
壊されないであるのは奇跡です。


川島芳子(中国人満族清朝末の皇族)は日本人川島浪速の養女になり日本で教育を受ける。清王朝の再興を願い、日本陸軍の特務機関に利用され諜報活動をする。(男装して時の人になる)終戦後、売国奴として中国で処刑される。

*婉容は多国語を話す高学歴な態度が溥儀に嫌われる。その後アヘンの嗜癖により精神異常の末若くして亡くなる。

*溥儀は清国最後の皇帝、孫文(中山)の民主主義国家樹立運動の辛亥革命により清王朝は滅亡、中華民国成立。
中華民国の初代大統領は袁世凱(溥儀の臣下、清王朝内の実力者で軍閥袁世凱孫文と共闘し清王朝を打倒)がなる。
溥儀はその後、紫禁城を追われ日本軍の保護の下満州国の皇帝になる、日中戦争終戦後シベリア抑留、生きて帰って中国共産党に戦犯として裁かれ、その後特赦、一市民として余生を送る。
まさに時代に翻弄された人生です。

日露戦争開戦は1904年2月ロシア旅順艦隊(中国旅順をロシアが租借して軍港として利用)へ日本海軍の奇襲攻撃に始まる。8月に日本陸軍旅順総攻撃を開始。1905年1月旅順ロシア司令部が降伏。旅順に向っていたバルチック艦隊は5月に秋山真之らの精鋭部隊の訓練と作戦によって殲滅される。同年9月アメリカの仲介によって日露はポーツマス海軍造船所にて講和する。以後40年間この地を日本が統治しました。


<その他の史跡や旧建築物>

*日本で最も有名な203高地、最大の戦死者を出した激戦地、乃木将軍の次男の墓があります(長男は金州で戦死)、地元の政府がお墓を建てたとかこれも定かではありません。お金は日本人が出して中国政府にお願いしたのでしょう!尚、標高203mあったのでこう呼んだ。

*旅順軍港の近く白玉山の表忠塔(日露戦争で犠牲となった戦死者を悼む慰霊塔、日露の戦死者3万人、ここには神社があったそうですが、日中戦争後壊された)

*旅順監獄(伊藤博文を暗殺した安重根が処刑されたところ、反日活動家2000人が収容されていた。)

*ロシアの海軍兵舎、日本が旅順工科大学として使用。現在は中国海軍病院です。

日露戦争の激戦地、旅順東鶏冠山北保塁。分厚いコンクリートで固めたロシアの強固な要塞。旅順要塞は沢山ありますが東鶏冠山北保塁が一番強固だった要塞です。

*ロシア軍が降伏を申し入れた会見場所、水師営


*万忠墓、1894年11月、日清戦争(中国名、甲午中日戦争1894年7月~1895年4月下関で講和)時に旅順大虐殺が起こり、18000名の遭難者の遺体は集団で焼かれて、骨灰は白玉山東麓に埋葬した。「清国将士陣亡之墓」と墨書された木碑が建てられた。ここも反日教育の場所です。